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Artist's commentary
1898年の御令嬢
1898年末。古くは藤原家の流れをくむ名家、侯の爵位を賜りし【中御門(なかのみかど)家】が断絶。
公には嫡男に恵まれなかったため、爵位を返上したと記録されているが
当時の新聞記事(記事の内容にはゴシップとも思える要素が多々あるため、真偽の程は定かではない)には
私怨による強盗殺人とも、誘拐事件とも取れる内容が散見されている。
・・・掻い摘んで言うと、事の顛末はこうだ。
1898年12月6日、侯爵家の家中の者が、老侯爵とその娘、さらには使用人から飼い犬まで、例外なく「斬り殺された」
邸内は足の踏み場も無いほどに荒らされており、蔵の内部も物色した跡があることから
私怨による強盗殺人ではないか、と記事には記されている。
不可解な点を挙げるとすれば侯爵の孫、中御門家の令嬢である
さえ と なゐ の遺体が発見されておらず、その行方も知れないことから、「犯人に誘拐されたのではないか」とも。
──何れにせよ、真相は不明のままである。